2020年までもう2年。それに向けて、外国人の訪日旅行熱が沸騰し、自宅に外国人を受け入れるホームシェアリングへの関心も高まっています。今回は、半世紀以上前の1964年に開催された東京オリンピック・パラリンピックで、外国人旅行者を受け入れた林正三さんのストーリーをご紹介。その言葉の端々に込められていたのは、ありのままの生活を通じて楽しむ交流の素晴らしさでした。
1964年10月、米国のシアトルに住むフランク・リトルさんと妻アルビリタさん(ともに故人)は、東京オリンピックを観戦するために日本に降り立ちました。リトルさん夫婦が向かったのは、東京都港区新橋で歯科医を開業していた林正三さんの自宅、神奈川県横浜市でした。
「当時、新聞やラジオで東京オリンピック観戦に来日する外国人旅行者の受け入れを募集していました。リトルさんはすでに別の家庭での宿泊が決まっていたそうですが、直前にナイジェリア系米国人であることを理由に拒否されたと聞いて。私もまだ若かったから憤慨してね。“それなら我が家に来ていただこう。せっかくいただいたこの機会なので、みんなで楽しまなくちゃ”と即座にagreeを出したんです」
とはいえ、まだ街なかで外国人を見かけることさえまれだった時代。身長180センチを超す外国人の元ヘビー級ボクサーに近所の人たちも驚きを隠せなかったそうです。
「リトルさんは駐留軍として日本での滞在経験があったこともあって、最初から“衣食住は林さんが普段生活しているスタイルにお任せします”と言ってくださいました。コーヒーだけは持参されていましたが、毎食、私たちと一緒のご飯にお味噌汁。本当においしいと感じてくださっていたかは分からないけど、私たちの日常生活を受け入れてくれました。もちろん、ちょっとしたトラブルもありましたよ。洋室でベッドがいいだろうとあらかじめ用意していたのに、リトルさんの身体が大きすぎてベッドから足がはみ出てしまう。急きょ、座敷の和室で寝ていただくことにしましたが、欧米の方にとって鍵のかからない部屋での滞在は本当に大変だったと思います。でも、いま振り返れば、お互い少しずつ我慢しながら、ありのままの生活を過ごせたことがよかったのではないでしょうか」
約20日の滞在中、リトルさん夫妻との交流は、周囲を巻き込んで枝葉のように広がっていく。最初に異文化の垣根を超えたのは、当時4歳だった長女の真実さん。
「娘にとっては外国人だからという垣根は全くなく、少し日本語が不得意なお客様が遊びにきてくれたという感覚(笑)。やさしいおじいさん、おばあさんみたいな存在で、すぐに打ち解けて懐いていました。その様子を見て、私も滞在期間中はもっと楽しんでいただこうと考え、うちの庭に面した縁側に腰かけ椅子を出して、線香花火をしたんです。そうしたら、最初は外国人に躊躇していた近所の子どもたちや英語を話せる若者たちが徐々に集まってきて。本当は外のお祭りにお連れすればよかったのかもしれませんが、庭先での小さな、小さな線香花火の炎がこんなにも人々をつなぐんだと感動しました。当時、参加してくれた子どもの中には、やがて海外留学した子もいます。アルビリタさんは台所に立って妻と一緒にちらし寿司も作りました。こうした交流の連鎖が、ホテルに泊まるのとは違う、ホームシェアリングの醍醐味なんでしょうね」
しかも、林家とリトル家の交流は、リトルさん夫妻が帰国してからも、子どもたち世代に至るまで続いています。
「リトル夫妻が帰国された後も、毎年のように日本とシアトルを行き来しました。私たち家族がシアトルに訪れたときは、私が歯科医だから現地のデンタルスクールの見学を手配してくれたり、日系人のコミュニティを紹介してもらったりしてね。1970年の大阪万博も両家で行ったし、娘の真実も米国留学の際はホームステイ先としてリトル家にお世話になりました。私の故郷である岐阜県にも行って、長良川の鵜飼いを一緒に楽しんだときは、夜のライトアップが美しかったこともあって本当にうれしそうでしたね。そして、クリスマスには毎年、リトルさんのおばさんが作るブランデーケーキが送られてきていました。結婚式も互いに日米間を行き来して祝っているし、もはや親戚のような関係なのかもしれません」
半世紀前の出会いを大切にする林さん。2020年に向けてホームシェアリングを考える人たちをどう見ているのだろうか。
「もし、部屋が余っているから貸そうという単純な発想なら駄目です。家族の中で一人でも後ろ向きだったらお互い嫌な気持ちになるから、受け入れようと思ったらきちんと話し合うべきではないでしょうか。しかも、いま日本を訪れる外国人はものすごく日本について勉強してきているから、私たちも日本文化の深いところを教えてあげられるように準備しないと。部屋の提供以外のプラスアルファの経験を用意して、お互いが楽しめる方法を考えてほしいですね。でも、過剰な無理をすることはありません。競技で選手がメダルを獲得することも大切だけど、みんなが楽しまないと意味がない。楽しいがすべてと考えると、どんどんワクワクが広がっていきます」